イベント、行事等

君は「業間体育」を憶えているだろうか。2時間目と3時間目の間の休み時間だっただろうか。この休み時間はちょっと長いのだ。20分くらいあっただろうか。
我々はこの時間に校庭に出て、何かしらの運動をしていたのだ。ある時は縄跳びをしていた。「さそり」や「いざり」などの動作で(どういう動きかはっきり憶えていない)校庭を這い回っていたこともある。
6年の時は「名古屋まで自分の足で」というテーマを与えられた。廊下に貼られたノルマ表にどこまで進んだか書き込みつつ、一生懸命校庭を走っていたような気がする。自分の人生の中で、あの頃ほど走った記憶は他にはない。しかし、「名古屋まで」というテーマとは裏腹に、私は神奈川県藤沢市まで走っただけでついに晴れの卒業の日を迎えた。



夏になると体育の時間に水泳の授業が行なわれる。水泳はもちろんプールで行なわれる。そのプールはシーズンオフには水を張ったまま、放置しておかれる。だから、プール開きの前の6月ぐらいに、プールを綺麗に掃除する必要がある。そこで我々はプールを掃除させられた。なんで生徒がそこまでするの、と言う疑問を当時は全く抱かず、我々はプールを水着姿で洗ったのである。まずプールに張られた水を抜くことから作業が始まる。この水がなんと緑色に染まっているわけだ。当時の科学クラブ仲間と、「この色はミドリモだ」。「いやボルボックスかもしれない」などと語りながら、植物プランクトンの繁茂したプールの水が抜かれるのを見ていた。水が少なくなってくると驚いたことに、水の中にフナや鯉がいるのだ。どういうことだろう。誰かが冬の間にプールに放流したとしか考えられない。さて魚が捕まえられ水が抜かれると、我々の出番である。デッキブラシを持ってプールの床や側面を磨くのである。半日程度掃除してプールは本来の環境を取り戻した。
ところで、沼端小には開校当時体育館は存在しなかった。にもかかわらず、プールだけは開校当時から存在した。わざわざプールのフェンスに、「このプールは郵便貯金からの融資を受けて設置した」との断り書きがあったほどだ。そこまでしてプールを設置しなければいけない理由とは何か。そこには春日部市の悲しい歴史が背後に存在する。昭和30年代まで春日部市の各小中学校にはプールは存在しなかった。そこで、暑い盛りの小学生はどこで泳いだかと言うと、彼らは古利根川で泳いでいた。現在の我々にはあの古利根川で泳ぐことが出来ること自体驚異である。さて、川で泳ぐとなるとどうなるだろうか。そうである。毎年何人かの小学生が古利根川で溺れて命を失うのである。この悲劇を繰り返さないために、春日部市の小中学校はプールを設置してそこで水泳の授業を行なったのである。例えそれが融資を仰ぐ必要があるとしても。



サマーミニキャンプについてだが、当初の予定では8月1,2日に行なわれるはずだった。しかし、台風が接近していたため、始業式の9月1,2日に順延された。この日はもちろん始業式だったので、夏休みの宿題を先生に提出したはずである。いや、もしかしたらまだ終わっていなかったかもしれない。それはともかく、持参したお弁当を食べた後、早速夕食のカレーライスを作る準備をした。この時に農園で作ったトウモロコシやジャガイモを収穫したかどうかは定かでない。この日はもう秋だったので予定されていた水泳は中止となった。
夕食後、キャンプファイヤーを焚く。火を囲んでフォークダンスを行なう。曲目は当然マイムマイム。ジェンカもやったかな。今考えれば、学校近辺の家はうるさかっただろうーなー。
夜はなぜか管理棟の方で寝る。私は理科室で就寝した記憶がある。当然、みんなすぐには寝なかった。枕投げ等があったと思うがよく憶えていない。



運動会。前日に校庭の雨水を雑巾で吸った。当日も雨だったが、なんとか無事開催される。結果は赤組優勝。応援合戦、総合共に優勝という結果に喜ぶ。ちなみにN本氏は応援合戦において、王選手の物真似をして拍手喝さいを受ける。鼓笛パレードが行なわれる。曲は「校歌」、「マーチングマーチ」、「友達賛歌」、「世界一周」、「おお牧場は緑」。



修学旅行の朝も雨だった。どうしてこんなに雨ばっかりなんだ。大体、小学校の入学式から、高校の卒業式に至るまで主要なイベントはほとんど雨だぞ。どういうこと?県立高校の入試の時など、雪が降ってきたほどだ。きっと我々の中に雨男もしくは雨女がいるに違いない。
それはともかく、修学旅行で富士山の5合目に着いたとき、そこは一面の雲海だった。めったに見られない光景だそうだ。ガイドさんから、「みんなの心がけがいいからだね」と言われたときにはちょっと複雑な気分だった。我々の中に雨男もしくは雨女がいるから雲海を見られたのだ。心がけとはちょっと違う。ちなみに私は、「一緒にスキーに行くと雨が降る(雪ではなく)」とよく言われる。って私かい(~_~)



ところで、修学旅行の夜、我々は宿で出し物をやったようである。何を演じたのか全く記憶はない。各クラスでそれぞれ出し物を演じただけでなく、先生方も出し物を用意していた。それは「鬼のパンツ」というものであった。「鬼のパンツ」というのは有名なイタリアのカンツォーネ「フニクリ・フニクラ」の替え歌であるあの曲のことである。有名な火山について歌った原曲(どうやら観光CM曲らしい)とは裏腹に、「鬼のパンツ」はあくまでも「鬼のパンツ」について追求した歌である。まあ、先生方は常日頃我々に対して鬼のように振舞っていた?のでこの曲はまことにふさわしい。かどうかはともかくとして、先生方はこの「鬼のパンツ」なる曲を歌いかつ踊ったのである。我々6年1組が演じた出し物こそ忘れたが、この「鬼のパンツ」は鮮明に記憶に残っている。人生、時に道化にならなければならないこともある。そうですよね、先生方。違うかなー(^_^;)



小学校6年間の履修を終了すると、卒業式というイベントが我々を待ち受けていた。我々としてはただ単に卒業証書を頂ければそれでよかったのであるが、そうはいかなかった。誰が決めたか知らないが、卒業式(正式には卒業証書授与式)という儀式が存在するのである。それでは、卒業式において卒業証書を受け取れば良いのか、と言うとそうではなかった。卒業証書を受け取るだけでなく、それ以外にやらなければならないことがある。それは「呼びかけ」というものであった。この「呼びかけ」とは卒業生の皆さんが思い出その他を語りかける、といったものである。いや、「語る」と言うよりは、やはり「呼びかける」のである。誰に対してか?先生や親や在校生、そして他ならぬ卒業生自身に6年間の思い出を呼びかけるのである。6年間の思い出とは言っても、クラスメートの中には、「1年間しか沼端にいねーよ」、という仲間もいる訳で、本当に思い出を共有しているとは言えなかったのではないだろうか。なんと言っても、我々も4年の時に沼端小に転入してきた訳だし。そうは言っても、「呼びかけ」は語られる訳で。今ここで詳しい内容を思い起こすことは出来ない。この「呼びかけ」は余りにも長いのである。
卒業生の「呼びかけ」が終わると、今度は在校生が我々卒業生に向かって呼びかけるのだ。「皆さんが卒業しても心配しないで下さい。私たちが立派に沼端小学校の伝統を守っていきます」。等という内容だったと思う。我々は別に心配などしてしていなかった。小学校の義務教育が存在する限り、沼端小も永久に存在すると思っていたからだ。しかし、その安心感が全くの間違いであったということを、2003年3月、我々は痛いほど思い知らされることになる。



卒業式と言えば「仰げば尊し」である。我々も歌ったと思う。卒業式で歌った歌の中に、今でも忘れられない歌がある。歌詞の中に「飛び立とう 飛び立とう 明日の空へ」というフレーズがあった。とても感動的な歌であった。だが小学校の卒業式で歌って以来、一回も聞いたことがない。あの曲は一体なんだったのだろう。楽譜とか既に持ってないし、一体誰の曲だったのか。卒業式でよく歌われる曲なんだろうか。まあ、そんな曲を卒業式で歌ったことも忘れかけていた今日この頃だったが、今はインターネット時代である。ふと思い出して歌詞を検索エンジンにかけてみた。なんと一発でお目当ての曲を探し出したのにはびっくりした。ところでみなさん、この曲、つまり「飛び立とう」を憶えておられるだろうか。憶えている方も忘れている方も、この曲を聴いてみたい方は、下に張ったリンクをクリックしてみて欲しい。「飛び立とう」を紹介しているサイトである。聞けばあの頃に帰れるかもしれない。

「飛び立とう」